それはXTから始まった キャブの変遷に見るSRの進化とテイスト


(SR P70)

Essey from Enthusiast
それはXTから始まった
キャブの変遷に見るSRの進化とテイスト

 インジェクションSRの始動性の良さには実に驚く。それもノーマルでなく、スープアップしたエンジンだから、心底ビックリしてしまった。400クランクASSYを500のものに組み換え、定番の499ccにストロークアップ。組立後キックするとあっけなくエンジンは目覚めてしまった。スロットルを開けると、ストレスなく軽いフィーリングでエンジンが回転する。ちょっと不思議な気持ちだ。SRエンジンの元祖XT500は1976年(海外は1975年)に発売。国内はもとより、欧米各国で本格的ビッグシングルとして、多くのライダーの間で人気を得ることになる。今でもXTは一部マニアの中には根強い人気がある。そんなXT500にも泣き処があった。エンジンの始動に「コツと慣れが必要」ということだ。

SRが今でも新車で入手できるのには、数々の要因があるが、やはりヤマハ技術陣の熱い思い入れがあってこそだといえる。XT500の発展系エンジンのSRは、XTのもつ弱点をことごとく改良していた。電気系ではポイント点火からCDI点火になった。ポイント点火は点火時期が狂ってくると、キックペダルが途中で戻ってしまうケッチンに襲われる。しかしCDI化により500rpm以下では失火するようにセットされ、ケッチンの恐怖は解消された。

またキャブレターには始動性を向上させるべく手が加えられた。SR500はミクニVM34SSというもので、アフターバーン防止装置に、加速ポンプとエンジンウォームスターターなどが追加されている。特筆できるのはウォームスターターだ。それまでエンジンが温まっている時、混合気が濃くなるので、微妙なアクセル開度が必要となった。それが装着ノブを押すことによりスロットルバルブが1mmほど上がり、スロットルグリップを回さずに(全閉のまま)楽に始動できるようになったのだ。

 SR400はやや小径のVM32SSで、加速ポンプは付いていないが、他2点のパーツは装着されている。このラウンドタイプのVMキャブレターは汎用性がとても高く、セッティングを変更するだけでパワーアップが計れた。

凝りに凝ったVMキャブは、多少の変更はあったものの、85年からのドラムブレーキモデルにも継承される。当時は排気音規制も緩く、マフラーの抜けも良いので、シャーシダイナモでパワーチェックするとノーマル車両でもカタログデータ以上の馬力が必ず出た。88年モデルからキャブレターは負圧式(BST)となる。400・500は共通ボディとなり、セッティング、口径ともほぼ共通となった。穏やかな特性を持つ負圧キャブは、従来の強制開閉のVMタイプより、レスポンスやパワーフィーリングが劣る。しかし扱いがシビアでなく始動性も良好となり、万人向けのものとなった。この変更によってユーザーから好感度が高まり、その後爆発的にSRは販売台数が伸びていく。93年には電気系が見直された。ジェネレーターが一新され、点火コイルの位置が移動したため、クランクケースも変更される。ジェネレータートラブルが無くなるとともに、CDIユニットも変更し、リミッターが追加されて、公開展示のオーバーレヴも解消。耐久性も向上し、信頼性を高めたマイナーチェンジだが、これを知る人は意外に少ない。MFバッテリーに変更されたのも、このモデルからで、好感度の高い改良箇所が多かった。

99年にはSR500が生産中止に。01年はフロントブレーキが、ドラム式からディスク仕様に変更される。排ガス規制が強化されて、キャブレターはGSRタイプに変更。エアーインジェクションが採用された。キャブ口径もやや小さくなる。03モデルからはスロットルポジションセンサーが新設された。アクセル開度に合わせて、点火時期を最適に変化させ、レスポンスを向上させたのだ。実質的にはこの年で、キャブ仕様のSRは進化を止めてしまう。

SRのキャブレターの長い歴史を見ると、前半は使い勝手と性能のバランスを重視。後半は排ガス規制をクリアしつつ、エンジン出力をいかに落とさずに造れるか、というテーマで技術者が葛藤していたことを伺い知ることができる。そしてインジェクションSR時代の到来。キャブレターチューニングに慣れ親しんだ我が身には、ちょっと辛い出来事と思い込んでいた。だがそれは、無用の心配だったことに気づいた今日この頃。「SRエンジンチューンには、インジェクションが最適」と言える日が、もう近づいている。

佐藤 剛

さとうつよし

AAA代表

1946年新潟県生まれ

メカニックとして伊藤忠自動車㈱に勤務した後に大学に入学。商社マンを経て73年にヤマハ発動機に入社後、営業主任の時に退職し、82年に「モトサロン」を、90年にはカレーショップ「巴瑠羅」を東京文京区にオープンする。 14歳でバイクの免許を取得し、ミヤペット、オートペット、CB92と乗り継ぎ現在でもパリラ、モトグッチ、ルーミ、YA5、YA6、XT500、ビモータなど多数の希少なマシンを所有する。94年に店名をAAAに変更して埼玉県八潮市に移転、02年に越谷市に移転して現在に至る。

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